レンズの歴史は、はるか紀元前にまでさかのぼります。
古代エジプト、ギリシャ、ローマの遺跡から、水晶などの鉱石をレンズの様な形状に磨いたものが発見されています。この当時は、光を利用するのではなく、装飾品として利用されていたようです。
レンズを拡大鏡に使うということは、ギリシャ時代の天文学者、プトレマイオスの時代(2世紀ごろ)にはすでに知られていました。そのことを記述した光学書が10世紀ごろアレキサンドリアの数学者アル・ハーゼンによって書かれています。
13世紀ごろには、その光学書はヨーロッパ各地の修道僧の間に広まっており、僧院を中心に、いわゆる虫眼鏡の様な形状の凸レンズが、拡大鏡や老眼鏡として用いられるようになりました。
当時のレンズは、水晶や円柱石(ベリール)を磨いて作られていた為大変高価なもので、眼鏡として利用できるのは、ごく一部の王侯貴族に限られていました。
14世紀になると、イタリアのベネチアでレンズ用のガラスが製造されるようになり、ここで製造される良質のガラスはヨーロッパの眼鏡市場を独占するようになりました。1430年代には、凹レンズが近視用の眼鏡に使用されたという記録もあります。
ちなみに、レンズという名前は、ヨーロッパの人々が食べているレンズ豆から来ているそうです。この豆に形状がにていることから、レンズと呼ばれるようになったそうです。
では、日本でレンズを見かけるようになったのは、いつごろからなのでしょうか?日本でレンズが用いられるようになったのは室町時代で、あのフランシスコ・ザビエル宣教師にによって眼鏡が持ち込まれたそうです。1620年には国産の眼鏡の製造が開始されたという記録が残っています。
望遠鏡もこの頃、ヨーロッパから持ち込まれ、かの徳川家康に献上されたようで、日本人で最初に望遠鏡を覗いたのは、徳川家康と言われています。
カメラはというと、1839年にフランスのダゲール発明した、ダゲール型のカメラが最初のカメラと言われています。
この頃のカメラは、木箱に凸レンズ、反射鏡、すりガラスを使って銀板に風景を定着させるというものでした。
その後湿板写真法の発明を経て、1871年にイギリスのマドックスが現在のタイプの写真乾板を発明、さらに1888年にはアメリカのイーストマン社によって、ロールフィルムを使うボックスカメラが発明されました。これがコダックカメラです。
撮影したフィルムを工場に送ると写真に仕上げられるという写真現像システムもこのとき登場しました。
日本では、すでに明治時代以前にも輸入が始まっており、維新志士 坂本龍馬の写真をはじめ、江戸時代末期から明治時代初期頃の日本人の生活も数多く写真に残されています。当時の写真は30分ほど静止した状態で、撮影を行ったそうです。
手軽に写真が撮影できる現代では考えられません。明治時代に入ると、街には写真館ができ、庶民も一生の内に何回か写真館へ足を運び、記念に写真を撮るという習慣が広まるようになりました。明治時代から昭和初期まで、カメラの価格は1台で家が1軒買えるほどとなり、単に写す機械というだけではなく、ステータスシンボルともなりました。
第二次世界大戦前には、ドイツのカメラメーカー、ライツ社のライカやツァイス社のコンタックスが有名でした。
このころのカメラは精密機械というだけでなく、工芸品としての価値を持っていたのです。
当時のドイツ製のカメラは、マイスターと呼ばれる熟練職人によって、ひとつひとつ手作業で作られていました。日本国内でもこれらのカメラをお手本に、カメラが製作されていきました。
第二次世界大戦中にレンズ用ガラスの輸入が不足したために、日本国内でレンズの製造が必要になり、ここから国産レンズが開発されるようになります。
戦後になり日本国内のカメラメーカーが力を付けるようになり、昭和40年代には日本のメーカーがドイツを追い越し、世界一の水準になりました。
1950年ごろから一眼レフ全盛の時代となり、レンズの発展を大いに促しました。その後、一眼レフはコンピューター内蔵により自動化され、誰でも容易に使える性能の良いカメラとして普及しました。
また、1990年代にはデジタルカメラが登場し、その性能も日に日に向上しています。日本国内で、盛んに生産されてきたカメラですが、近年では生産を海外に頼らざるを得ない状況が続いています。
※参考文献 永田 信一『図解 レンズがわかる本』